「海賊とよばれた男」百田尚樹著 国岡商店にみるリーダーの資質について

2013-12-16 17_50_00-海賊と呼ばれた男 - Google Search

日本ではもうブームは去っているのかもしれませんが、話題だった本「海賊とよばれた男」を読みました。周知のとおりこれは出光興産の創業者、出光 佐三(いでみつ さぞう)をモチーフとした歴史経済小説です。作中では出光興産は国岡商店、出光佐三は国岡鐡造という名前で物語は進んでいきます。

話は第二次世界大戦後、荒野となった東京から不屈の精神で復興する鋳造と国岡商店の戦いから始まります。さらにストーリーは国岡商店の誕生まで遡り、戦前・戦中・戦後と時代の渦に翻弄されながら、しかし自身の信念をつらぬき通した国岡商店店主、国岡鋳造の生き様とそれに賛同した多くの”店員”たちたくましさが描かれています。

鋳造の哲学

とてつもない偉業をなしとげた鋳造ですが、突き詰めていくと何も難しいことは言っていません。

”店員は家族、家族のことは絶対に守る”
”会社の利益ではなく、国の利益を第一に考える”

この2点だけです。しかし、この2点は心血を賭して守りました。それは戦中の混乱の中でも、戦後の絶望の中でも変わりません。

自分との約束は一番簡単であり、一番難しくもあります。自分に厳しく、人に優しくとはよくいったものですが、”厳しく”の定義なんてないですからね。これだけがんばったんだから、ここまででよしとしよう と妥協することなんて簡単です。

程度の大小はあれど、誰でも豊かな人生を送りたいと思うのはごくごく自然なことです。もっと豊かに生きられる可能性を捨てて、それも自分が生きるか死ぬかの可能性まで賭けて、リターンは自分の利益ではなく、国の利益をだなんて、なかなか考えられることではありません。

まさに言うが易く行うが難しです。

社員のマインドについて

そんな鋳造の信念に呼び寄せられるように、彼の元にはすばらしい人間が集まります。作中のどの局面でも鋳造、そして国岡商店は1対多の絶望的に不利な戦いを強いられます。しかし鋳造の元に集う人々は見事にそれを跳ね返し、国岡商店を盛り上げていきます。盛り上げていきますというと語弊があるかもしれません、その姿はむしろ自らの城と城主を守るために戦うサムライそのもののように感じました。

その出来事が如実に現れているのが、外油(外国の石油会社)による日本経済支配を防ぐために旧海軍のタンクの底にたまった油をくみ上げる場面です。このくみ上げ作業は、その過酷さゆえ、日本のどの石油会社も二の足を踏んでいました。しかしコレをしなければ外油の支配から日本を守ることができません。

そこで立ち上がったのが国岡商店です。鋳造の号令に国岡商店の店員一同はすすんでくみ上げ作業に望みます。タンクの底には悪性のガスが充満しており、そこに下りるということは死の危険が伴います。何人もの店員が倒れ、全身油まみれになりながらも作業を全うします。作業にあたる店員はそんな状態でありながら、みんな笑っていたというから驚きです。

いくら会社の命令とはいえ、命の危険を冒してまで会社のため、国のために働ける人が現代に何人いるでしょうか。作中には語られていませんでしたが、恐らく特別手当などもなく、みな自発的に現地に赴き、作業にあたっていたようです。

戦後の復興に沸き立つ日本においても異彩を放っていた国岡商店ですが、それは鋳造一人では成し得ることでは決してなく、心を共にする仲間がいたからに他なりません。そしてその仲間は降って湧いた有象無象ではなく、鋳造の信念に共鳴したサムライたちでした。

時代が彼らを生んだのでしょうか、それとも彼らが時代を生んだのでしょうか。もし今の時代に彼らが現れたらいったいどんな社会になるのか妄想が膨らみます。

歴史に”たられば”はありませんが、彼らがいなかったら、鋳造がいなかったら日本という国はどうなっていたのでしょうか。

リーダーシップについて

全編をとおして鋳造の並々ならぬリーダーシップを読み取ることができます。いち民間会社の社長が官僚や、戦後の日本を支配していたGHQを相手に喧嘩を売りに行くなんて普通じゃできません。既存特権に甘んじる旧来の石油事業関係者はそろって鋳造を攻め立てますが、店員を守るため、国を復興させるためという信念のもと、鬼神のごとく多勢に猛進する彼に幕末の志士を見た気がしました。

社員の反対をも押し切って、意思を曲げずに突き進む鋳造は一見すると独裁者のように見えますが、そうではありません。

リーダーの資質として、いかに部下を信じ、部下に仕事を任せるかということはよく論じられますが、鋳造にもまたその資質が備わっていたと感じます。

戦争が終わり、油を売ることができなくなった鋳造がはじめたラジオの修理請負ですが、その一切を一人の社員に任せます。”社員は一人も首にしない”ことを誓った鋳造にとって、このラジオ修理の仕事はいわば生死を分ける生命線ともいうべき事業でしたが、それを信頼する社員に任せるのです。

正確にはその彼は当時社員ではなく、ラジオ修理の話を持ってきた外部の人間ですが、その情熱を見込んで、彼を信じ、そして成し遂げるのです。

のど元に鎌を突きつけられた状態で、その生死を人に任せることができますか? 任せられる人間がいますか?

真のリーダーとはそれできる人なのかもしれません。

真のグローバリゼーションとは?

これは作中では全く振れられていないことですが、この鋳造の行っていることが真のグローバリゼーションなんじゃないのかと思いました。近年しきりに叫ばれているこの言葉ですが、
「海外に支社をつくりました」、「海外に店舗を構えました」というのを”最近は日本もグローバル化が進んでいる”と言われると少し?な気がしてしまいます。

グローバリゼーションとは労働力を一方的に搾取するものではなく、貿易という橋でつながった両方の地が潤ってはじめて成り立つものだと思います。

企業としてGoing Concernは当然追い求めなければいけないことですが、棒切れでツンツンつついて、反応がよければ足を出すようなやり方と、大義の為に体のほとんどを投げ出して決死の覚悟で商売をするやり方をみると、やはり後者を応援したくなります。

作中では外油の支配と戦うため、イギリス艦隊に撃沈される恐怖と戦いながらイランへ出航する場面が描かれています。それも会社のすべてを賭けたタンカーを使ってです。撃沈=会社も倒産を意味します。

2回目にイランを訪れた際、港で溢れんばかりの国民に歓迎されたといいます。もちろん自分たちの生活を豊かにしてくれる使者を歓迎するというのもありますが、一方で遠方から危険を顧みず訪れた男たちへの賞賛もあったのではないかと思います。

そんな背水の陣で望んだ国岡商店の情熱が任務成功の一助となったことは想像に難くありません。

専門家ではないのでたぶん浅はかな感想を言っていると思います。現代男の戯言と思って聞いていただければ結構です。しかし、これから社会に飛び立つ学生や、俺はまだまだ終わらない!と野望を持っている人は是非読んでおいて損はない良書だと思います。

人気書籍ということで皆さんの期待値も高いと思いますが、恐らくその期待を超えてくると思いますので覚悟してお求めくださいませ。

今年12月に映画が公開される、著者、百田さんのデビュー作永遠の0 (講談社文庫)もいいですが、こっちも映画かドラマでやってほしいなぁ。

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